『劇場用映画 ちびまる子ちゃん 大野君と杉山君』の感想(ネタバレ有り)
お久しぶりです。ツバサ太郎です。
ピーヒャラピーヒャラ
で始まります。
平成最後のなにがしなんてよくテレビで見ますけど、ちびまる子ちゃんの舞台は平成じゃなくて昭和。だからどこか懐かしいと思う。
結局年号なんてただの名前で、変わったところで僕らの世界は昭和から続いてるんだよなぁとしみじみ。
早速くじ引きで席替え。そこでまる子は大野君と杉山君と同じ班になります。
イケメンすぎんか?
杉山はそこそこやなぁ。
この二人と同じ班になったら羨ましがる女子も多いのでは?と思うが、結構嫌がるまる子。イケメンかどうかよりまず怖いらしい。僕も髪を上げてネイビーのスーツを着た新社会人が怖いです。
あ〜〜〜〜席替え嫌いだった〜〜〜〜〜
みんなが楽しそうな雰囲気が死ぬほど嫌いだったんだよなぁ。
この映画でも、「やだよー」という声が聞こえてきて安心した。多分それは、仲のいい子と離れるのが嫌って感覚だろうけど。
そして掃除。遊ぶ人がいるのが小学校。机寄せで机の間に挟まって動けなくなる人とかいるよなぁ。
きちんと掃除しろよ馬鹿がって思いながら何も言えなかった小学生時代を思い出す。あの頃から僕は何も成長していないかもしれない。
・・・
はい
ひっそりと大野君がまる子に「3分以内に掃除道具持って来なきゃぶっ飛ばすぞ」って言ってて怖かった。
そして母に愚痴るまる子。
しかし母「あの子たち、元気でしっかりしててわたし好きだわ」
そうなんだよな〜こういうタイプは親御さんに好かれる。許せねえよ。
オタクはいつだって嫌われ、世界はEXILEに支配される。
なんやかんやあって給食。
みかんを大野君と杉山君と奪われて悲しむまる子。
お母さんにそのことを愚痴ると「みかんならテーブルの上にいっぱいあるわよ。」と言われてしまう。それに対してまる子「みかんは学校で給食の後に食べるのがいい」
分かる!!!!!!
子供特有の感情こそこの映画の魅力。無邪気さや幼さだけが子供じゃなくて、「子供らしさ」という枠組みで捉えることができている。「学校でお姉ちゃんを見ると不思議な気持ちになる」とか「夜空の星が☆というように見える」とか「大きな古時計で悲しくなってしまう」とか「放課後なら普段言えないことも言えてしまう」とか。
感情の整理の仕方も分からなくて、だから喧嘩もしてしまう。
大人になんかなりたくなかった
この映画を観ているとノスタルジーに支配されてしまいます。
様々なシーンで子供の頃を自分を観ているような気持ちになり、現実の自分を忘れさせてくれます。ああなんと安らかな感情。身を任せることによる緩やかな死。あの頃は良かった………
ん?転校??
僕は今ノスタルジーが作る夢の世界にいたのになぜ転校なんてするんだ。この世界が終わってしまう。
僕は転校したくない!
しかし、お別れ会で大野君と杉山君は大人になった時の理想の姿を再現する。転校するということはこの場を離れ、大人に近づくということ。そこで無力感に囚われるのではなく、自分たちの姿を見せつけ、抗おうとする二人。
現実逃避していた僕はなんなんだ・・・
大野君は転校して杉山君と離れても前を向いて生きている。
僕も前を向いて生きる!!!!
どうしようもないこと(この映画においては子供時代の「転校」)があっても、あの頃は良かったなんて感情に負けてはいけないんだと大野君と杉山君の友情が教えてくれます。
なんて大事な感情なんだ。。。
という映画でした。
それではまた。